7月18日に打ち合わせのために香川県へ。
前日に宿を予約しレンタカーを借りた。
実際の打ち合わせは数時間だったが、前回はiPhoneが何かの身代わりに壊れたので、その続きの巡拝をしようと思った。
74番甲山寺で、いつもは気にもしなかった毘沙門天のお守りを買った。
ご利益というより、自分の気持ちのモチベーションが維持できるかなと思った。
翌日、レンタカーのブレーキペダルの位置が悪く、膝が痛くなったので、ゆっくり巡拝して帰ろうと思いはじめた。
63番札所…毘沙門天をご本尊にする吉祥寺まで来た。
ここには本堂の前から目をつぶって金剛杖を中央の穴に通すと願い事が叶う「成就石」や、後ろからくぐりながら願をかけると叶うという「くぐり吉祥天女」などがある。
地元のおばちゃんがひとり。静かな境内。
自分はさっさと読経を済ませて納経所に行こうとしたら、おばちゃん「天女さんくぐると願いがかなうから、通って行きなさいね!」と勧めてくださった。
お接待の心なら受けるべきなのだろう。いや、断っちゃいけない。
けれど、自分の願いってなんだろう?願いを叶えていいものなのだろうか?
お遍路はなにか願いを叶えるためではなく、自分の行いで迷惑をかけた人々への償いの気持ちを巡拝して手を合わせ祈ることで昇華しようとしてるもかもしれないと気付かされたような気がした。
毘沙門天がお守りを授けれくれて、吉祥天から声をかけられたようだ。
それが7月19日なのだから、意味深い。