親族葬と社葬を2回した親父の話。

Facebookでとある方が書いていたお母さまのお話から、自分の父のことを思い出しました。

42歳すい臓ガンでで亡くなった町工場の職人

父は明治から続く釘や足場用番線の工場での職人だった。
墨田区や江東区のあちこちの工場を転々として、最後に落ち着いたのが森下の工場だった。

ただ、何がすごいかと言えば、父の作った製品があまりにも良質だったため、工場の売上が飛躍的に伸び、当時の通商産業大臣が見学にきてしまった。

家族には非常に厳しい昭和一桁男の父(生きていたら82歳?)で、酒癖が悪くて、いつも割れた皿を片付けるのが就学前の私の仕事だった。
しかし、仕事になるとものすごいこだわりをもっていて腕はいい職人だった。

私が小学校に入ってすぐ健康診断で再検査、そして父の余命3ヶ月の宣言。
その時から、母は病院に通い、私が家事をするようになった。

半年間の闘病生活の後、父が他界。
福島の親戚が本家での葬儀を準備している中、社長さんがこれだけの社員をほおっておけないと社葬を取り仕切ってくださった。
7歳の私でもはっきり覚えてるけどかなり豪華で、近所の人たちがたくさん送ってくれた。
まるで芸能人の葬儀みたいに、道が人で埋まったのを覚えてる。

その後、母をサポートするために母を正社員として登用して社宅にいられるようにしてくれ
私たちが就職するまでなにかと生活面でのサポートを社長さん(亡くなった後は次の社長さん)がしてくれていた。

のんだくれでどうしようもない父だったけど、私が誇りにする職人であることには、今でも変わらない。